外伝その3 生きているなら走れっ!
 今日は2005年11月23日、勤労感謝の日ってやつだ。暦どおり
休むことが出来た。何をする訳でもなく、家でゴロゴロしている。
 今頃、僕の住んでいる家から1本外れた道路では世界のトップアスリートが
その速さを披露していた。「国際千葉駅伝」ってやつである。一方北の方に目を
移してみると栃木県茂木市のツインリンクもてぎでは、HONDAのファン感謝
イベントが行われている。最後となる3000ccエンジンを積んだF1マシンや
インディカーを名ドライバー達が走らせ、甲高い音を茂木の森に響かせていた。
 さらに日本最高峰・富士の麓では1台のワゴンR・WIDEとV6エスクードが
孤軍奮闘で戦っていた。

 マラソンを走るランナー達に沿道で声援を送る人達をよくTVで見かけたことが
あるだろう。私は知り合いでもない人に手を振っている人達の事がどうにも理解
出来なかった。しかしそんな考えを吹き飛ばす出来事と遭遇することになる。
 私は4年前、ハーフマラソンに出場した。10kmを走った事はあれど
それでさえ、高校生の時の話。自分にとって一番の低速ギヤに固定し、とにかく
完走することを目標に歩くような速度で走り出した(ここでいう完走とは2時間半
以内にコースを走りきりゴールすること。それを超えたらゴールラインを踏むことは
出来ない)
 6km位走り終えただろうか、自分にとって想像を遥かに越える者達と
すれ違った。彼等は既に10kmの折り返し地点を越えて、ゴールに向かって
戻ってきているのである。その脚の速さ、おそらく私が全速力で駆けても敵わない
のではないかと思えた。彼等はこれに賭けているプロの集団、それは違って
当たり前なのだが、こうも差があるものかと驚愕した。それ以来、マラソンを
観に行かれる方の気持ちが少しはわかったような気がした。
 驚愕してしまった私はというと10kmの折り返し地点までは、そのペースのまま
淡々と走っていたのだが、脚が痛くてどうにも言う事を聞かなくなってしまった。
 残り半分を歩いたり少し走ったりと繰り返した。季節は1月、千葉市湾岸の風は
容赦なく冷たい・・・・。
 しかし僕はギリギリ2時間半を守りきる事が出来た。後ろから数えて4番目、
ゴールラインのある千葉ロッテマリンスタジアムに入る事が許されたのだ。
 トップとは倍以上の開きはあったが完走する事が出来て嬉しかったし、頑張れば
なんとかなると少しは自信に繋がった。

 僕達には"脚"がある。この脚は本当の足とも言えるし、自転車でもバイクでも
車でもいい。走ることが出来るのだ。走り続ければ、いつか月にも辿り着けるし
飛行機で行っていた街にも飛ぶことなくやってこれる。技術も車もトップカテゴリー
には遠く及ばなくても、サーキットを走れば同じ風を共有出来る。

 ゆっくりだって構わない、生きているなら走り続けよう。そう思った働いて14回目の
11月23日であった。



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